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2015年2月11日 (水)

時間管理術

巷ではいろんな時間管理術の本があふれている。

朝活から始まり、情報整理の仕方、メモの取り方、メール整理の仕方、などなど。

こうしたことをしっかり実践すれば、確かに生活上の時間配分は効率的になるのだろうとは思う。

ただ、一方でやはりこうしたやり方というのは技術的な面に重点がありすぎるような気がする。

私が思うところの時間管理術というのは、手足をいかに効率的に動かすか、というよりも、どちらかといえば手足を動かさないですむ時間に何を考えているか、ということのほうがよほど重要なのではないかと思う。

仕事場に行くまでの移動時間、8時間の労働時間の合間合間に訪れる小休止、帰宅時の信号待ち、電車待ち、一人飯で過ごす時間、などなど、起きている時間に発生するちょっとした空き時間というのは案外ばかにならない量がある。

こうした時間に、次何をするんだっけ? と少し頭を整理できるかできないかで、次の行動にすんなり入っていけるかどうかが大きく左右されると思う。

この空き時間というものを、くだらない妄想ばかりで浪費してしまうと、いざ行動を取ろうという段になって初めて、さて、何をするんだっけ? と考え始めなければならない。

しかし、少しだけでも頭が整理されていると、じゃあやろうか、という瞬間にすでに手が動いている。

小さな差に見えるかもしれないが、この差が蓄積されていくと、最後には非常な違いを生むと思う。

ここでちょっとしたコツがあるとすれば、じゃあ空き時間を有効に活用しなければと、必死に頭を回転させようとはしないことだ。

次、なんだっけ? という程度で十分だと思う。

これが自然にできるようになると、ひとつひとつの作業はお互いにまったく別物だったりするのに、間髪入れず連続して作業ができるようになったりする。

技術的な作業をしていたかと思えば、数字的な作業に移り、対人作業に移り、それぞれの関係者と言葉を交わし、といった具合だ。

結局、こうしたことはすべて、いかに頭を迅速に切り替えていくか、ということに尽きる。

事前にちょっと事柄を整理しておくこと、かといってあんまり必死こいて物事を順序立てようとしないこと、頭で考えるのはほどほどに、あとはやりながら調整していくこと、こうしたいい意味での軽さというのは、多くの事柄を前に進めるうえで必要なことと思う。

そして、これがうまくできる人の底辺には、”考えない”ということを”考える”ということと同じ価値観でとらえる能力があるように思う。

常に何も考えないのは単なるアホウだし、一方で常に何かを考えている人間も余裕がなく、結局肝心の行動がうまくいかない。

世間的な風潮では、24時間考え続ける人間がどちらかといえば評価されやすいが、それは実際は自慢にも何にもならない。

考えない、ということの価値を知らないからだ。

それは、”知っている”ということと、”知っていない”ということを同等にとらえることができるかどうか、ということと同じである。

あることばかりに目を向け、ないことの価値や意味を考えない点で同じだからだ。

結局、時間をいかにうまく使えるかどうかは、どういった価値観で目の前の諸々を判断していくか、にかかっている。

前のほうで書いた、空き時間をくだらない妄想で費やす、というのは、まさにそのくだらない妄想ごとをほかの何よりも自分の関心物に持ってきている、ということである。

そんなことを考えるぐらいなら、何も考えないほうがいい、ということは山ほどある。

おそらく、もっとも理想的な時間管理術は、考える必要があることを考えたら、あとは黙って何も考えない、ということなのだろう。

そしてそんなことができるようになれば、仕事なんてほっといてもいくらでも片付いていってしまうだろう。

何も考えない、ということは、それだけ人に力をもたらすものだから、徹底することがあまりにも難しいわけだが。

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